最初に一つだけ。
この記事は、「経営を考えるな」という話ではありません。
管理職には管理職の立場があり、経営陣には経営陣の責任があります。
また、ここに書く内容はあくまで一人の勤務理学療法士としての私個人の考えであり、すべての職場や理学療法士に当てはまるとは思っていません。
そのうえで、勤務理学療法士は何を最優先に考え、何を自分の中に積み上げていくべきなのかについて、今の自分の考えを書いてみます。
最近、管理職と思われる理学療法士の方の発信を見ていて、少し引っかかることがあります。
「病院も経営だから、綺麗事だけではやっていけない」
「もっと収益を意識するべきだ」
「単位数が少ない理学療法士は、評価や給与にも反映させるべきではないか」
こうした意見です。
もちろん、病院経営にお金が必要なのは分かります。
診療報酬で成り立っている以上、収益を無視して病院を維持することはできません。
ただ、それを聞くたびに私は思います。
それは本来、誰が考えるべきことなのだろう。
私は、理学療法士が経営を知らなくてよいと言いたいわけではありません。
診療報酬を知ることも必要です。
自分たちの仕事が病院の中でどのような収益構造になっているのかを理解することも大事です。
管理職なら、なおさらでしょう。
ただし、
経営を理解することと、自分が経営者になったつもりで現場の理学療法士を評価することは、まったく別の話
だと思っています。
私たちは「経営者」ではなく、まず理学療法士である
病院には院長がいて、経営陣がいて、管理職がいます。
そして、その下で働く多くの理学療法士は従業員です。
管理職になったとしても、基本的には病院に雇われている理学療法士であることに変わりはありません。
もちろん、管理職には部署を運営する責任があります。
人員配置を考える。
業務を効率化する。
スタッフの働き方を整える。
新人を育てる。
他部署と調整する。
経営側に現場の状況を説明する。
こうした役割があります。
だから、経営的な視点を持つこと自体は悪いことではありません。
ただし、
「経営者の視点を持つこと」と「自分が経営者になったように振る舞うこと」は違う
と思っています。
病院の経営責任を最終的に負うのは経営陣です。
現場の理学療法士は、専門職として患者さんに適切な理学療法を提供する。
管理職は、その現場と経営側をつなぐ。
私は、それぞれ役割が違うと思っています。
単位数が減ったなら、まず現場を見ればいい
例えば、部署全体の取得単位数が減っているとします。
そのとき、
「スタッフの意識が低い」
「もっと単位を取れ」
「生産性が低い人は評価を下げるべきだ」
という話になる前に、やることがあります。
患者さんの移動に時間がかかっていないか。
病棟との連携で待ち時間が発生していないか。
記録や書類業務が過剰になっていないか。
カンファレンスや会議の運用に無駄はないか。
人員配置は適切か。
担当患者数に偏りはないか。
リハビリ開始までの流れを改善できないか。
移動の動線は悪くないか。
予約の組み方に無理はないか。
こうしたところを見直して、動き方の効率化で改善できるのであれば改善すればいい。
これは管理職の大切な仕事だと思います。
そして、現場を詳しく知らない経営陣から、
「もっとリハビリの収益を上げられないのか」
と言われたのであれば、
「ここまでは改善できます」
「この部分は運用を変えれば効率化できます」
「しかし、この部分は患者層や病院機能上これ以上は難しいです」
と説明する。
私はむしろ、それこそが管理職の役割なのではないかと思います。
経営陣の要求を、そのまま現場へ流すことが管理ではない
管理職になったからといって、
「経営側がもっと単位を取れと言っているから、みんなもっと取ろう」
だけでは、あまりにも一方向です。
経営陣は病院全体の数字を見ています。
一方、現場では、
今日は重症患者が多い。
検査で予定が崩れた。
ICU対応が長引いた。
急変があった。
家族説明が必要だった。
装具の調整に時間がかかった。
新人のフォローが必要だった。
患者さんの状態が悪く、予定していた単位数を実施できなかった。
ということが日常的に起こります。
これを知っているのは現場です。
だから管理職には、
経営側の数字を現場へ下ろすだけではなく、現場の事情を経営側へ持ち上げる役割
があると思います。
「今月は単位数が少ないです」
ではなく、
「なぜ少ないのか」
まで説明する。
そして、
「改善できるところ」
と
「改善できないところ」
を切り分ける。
それが管理ではないでしょうか。
「改善」と「育成」は両立しなければならない
ただし、何でもかんでも「改善」で片付ければいいとも思いません。
例えば、新人の理学療法士であれば、まだ効率よく動けないのはある意味当然です。
患者さんへの声かけにも時間がかかります。
カルテを読むのにも時間がかかります。
疾患について調べるのにも時間がかかります。
初めて見る病態なら、先輩に確認する必要もあります。
重症患者を初めて担当したなら、慎重になるのも当然です。
そんなときに、
「単位数が少ない」
「もっと効率化しよう」
「他の人はもっと取っている」
とすぐに数字だけを見るのは、少し違うのではないかと思っています。
むしろ管理職には、
「この人は今どこまでできるのかな」
「そもそもこの担当人数はいっぱいいっぱいではないか」
「最近、新しい疾患を診ているな」
「ちょっと大変そうだな」
「この患者さんはかなり判断が難しいな」
と、スタッフ一人ひとりに目配りできる環境を作ってほしいと思います。
その人が今どの段階にいるのかを見る
新人だけではありません。
2年目、3年目でも、新しい分野を担当すれば一時的に効率は落ちます。
整形外科を中心に診ていた人が脳卒中患者を担当し始めた。
一般病棟中心だった人がICUに入るようになった。
脳卒中中心だった人が脊髄損傷を見るようになった。
そういうときには、当然時間がかかります。
でも、それは「生産性が落ちた」のではなく、
新しい経験を積んでいる途中
とも言えます。
ここで短期的な数字だけを見て、
「遅い」
「単位数が少ない」
と評価してしまったら、スタッフは新しいことをやりたくなくなります。
難しい患者を避けるようになるかもしれません。
慣れている患者だけを選んだ方が数字は出ます。
それが本当に組織にとって良いのでしょうか。
私はむしろ、
新しい疾患を経験している時期には一時的に生産性が落ちることも許容する
くらいの余裕が必要だと思っています。
数年かけて「最低限こなせる」まで育ててもいい
すべての新人が1年で何でもできるようになる必要はないと思っています。
臨床能力の伸び方には個人差があります。
患者さんとのコミュニケーションが得意な人。
評価が得意な人。
動作分析が得意な人。
書類が速い人。
慎重に考える人。
手技を覚えるのが速い人。
さまざまです。
多少ゆっくりでも、
2年、3年、場合によってはもう少しかけながら、
最低限の業務を安定してこなせる。
困ったら相談できる。
危険なことを一人で抱え込まない。
患者さんに必要な理学療法を一定水準で提供できる。
そこまで育てられれば、それで十分なのではないでしょうか。
全員を短期間で「高生産性スタッフ」にする必要はないと思っています。
人が辞めないことも、立派な経営ではないか
収益を考えるのであれば、なおさら人が辞めない環境は重要だと思います。
新人に早い段階から高い生産性を求める。
周囲と比較する。
単位数で評価する。
常に改善を迫る。
少し遅いだけで問題視する。
それで疲弊して辞めてしまったら、また新しい人を採用することになります。
そして、また一から教育する。
採用にはコストがかかります。
求人広告を出す。
面接をする。
採用手続きをする。
新人教育をする。
先輩スタッフがフォローする。
新人が一人前になるまで部署全体で支える。
これだけの手間がかかります。
そして、せっかく数年かけて育てた人が辞めれば、それまで積み上げた経験も職場から失われます。
そう考えると、
人を辞めさせず、ゆっくりでも育てていくこと自体が、長期的には十分に経営的なのではないか
と思います。
短期的に、
「今日何単位取ったか」
だけを追いかけるより、
「3年後、この人が一人で安定して働けるか」
「5年後、この部署に経験のある人材がどれだけ残っているか」
という視点の方が、結果的には組織の収益にもつながるのではないでしょうか。
診療報酬の中では、そもそも天井がある
理学療法は、一般企業の商品販売とはかなり違います。
売れれば売れるほど利益が増える仕事ではありません。
診療報酬によって単価が決まっています。
さらに、誰にどれだけリハビリができるかも、ある程度決まっています。
患者さんの状態によっては、1日に何単位も介入できません。
急変リスクの高い患者さんもいます。
検査や治療で予定通り介入できないこともあります。
重症患者であれば、20分介入すること自体が大きな負担になる場合もあります。
患者さん本人が疲れていることもあります。
疼痛が強いこともあります。
離床そのものが大きなリスクになることもあります。
もちろん、その中で最大限できることをするのは当然です。
無駄な時間があれば減らす。
介入できる患者さんには適切に介入する。
算定漏れがあるなら改善する。
できることはやればいい。
しかし、
制度や患者背景によって決まっている限界を超えて、「もっと収益を」と現場の個人に求められても困る
というのが私の感覚です。
「取れる患者」と「取れない患者」がいる
現場にいると当たり前ですが、全患者が同じように単位を取れるわけではありません。
比較的安定していて、予定通り進められる患者さんもいます。
一方で、
状態が不安定。
検査が多い。
治療スケジュールが詰まっている。
認知機能やせん妄の問題がある。
疲労しやすい。
疼痛が強い。
医師の判断待ち。
離床そのものに時間がかかる。
こうした患者さんもいます。
それを全部一緒にして、
「Aさんは1日これだけ単位を取っている」
「Bさんはこれしか取っていない」
と比較しても、意味がありません。
担当患者の中身が違うからです。
そこを見ずに個人の数字だけで評価するのであれば、管理職が現場を見る意味が薄れてしまいます。
単位にならない仕事も、理学療法士の仕事である
もう一つ気になるのが、理学療法士の価値を単位数だけで評価する考え方です。
急性期で働いていると、単位として表れない仕事は山ほどあります。
医師への報告。
看護師との情報共有。
退院支援。
家族への説明。
装具の調整。
リスク管理。
後輩への指導。
症例について調べる時間。
多職種カンファレンス。
患者さんの状態が悪化した際の対応。
病棟スタッフへの動作方法の共有。
福祉用具の検討。
転院先への情報提供。
こうしたものは、病院にとっても患者さんにとっても必要です。
しかし、単位数だけを見れば「0」です。
だから、
「1日何単位取ったか」
という数字を理学療法士個人の価値と強く結び付けることには、私はかなり抵抗があります。
単位数が少ないから減給、までいくと私は相容れない
もちろん、明らかに仕事をしていない。
他の人へ負担を押しつけている。
改善できることを何も改善しようとしない。
という場合には、人事評価の対象になるでしょう。
それは当然です。
ただ、
単位数が少ない=給与を下げる
という発想までいくと、私はどうしても相容れません。
それなら、
新人はどうするのか。
重症患者を多く担当する人はどうするのか。
教育を多く担っている人はどうするのか。
カンファレンスや委員会業務を担っている人はどうするのか。
新人の相談に毎日乗っているベテランはどうするのか。
難しい症例を担当している人はどうするのか。
という話になります。
単位数は部署運営を見るための一つの指標にはなります。
しかし、個人の価値そのものではありません。
もちろん、単位を取る努力そのものを否定しているわけではありません。
取れる患者さんには適切に介入し、無駄を減らし、効率よく動く。
そうした意識は必要です。
ただし、ここで問題にしているのは「単位を取るか、取らないか」ではなく、
その努力を誰の責任として背負うのか
ということです。
「綺麗事だけではやっていけない」は誰の言葉なのか
よく、
「医療も経営だから、綺麗事だけではやっていけない」
という言葉を聞きます。
もちろん、その通りでしょう。
でも私は、その言葉を最も真剣に考えるべきなのは院長や経営陣だと思っています。
どういう病院にするのか。
どの診療科を強化するのか。
どんな人員配置にするのか。
どこに設備投資するのか。
地域の中でどんな役割を担うのか。
病床をどう運営するのか。
医師をどう確保するのか。
看護師をどう確保するのか。
材料費をどう抑えるのか。
経営資源をどこに投入するのか。
その判断をして病院経営を成立させるのが、経営側の仕事です。
現場の理学療法士が、
「病院経営が厳しいから、もっと患者さんを回そう」
「単位を取れないスタッフは給与を下げよう」
というところまで背負う必要があるのでしょうか。
私はそこまでいくと、少し役割が違うのではないかと思っています。
病院全体の赤字まで、理学療法士が背負う必要はない
少し強い言い方になりますが、私はこう思っています。
リハビリ部門に明らかな怠慢がある。
無駄が多い。
改善できるのに何もしていない。
算定できるのに算定していない。
スタッフが余っているのに業務整理もしない。
それなら改善すべきです。
そこまで否定するつもりはありません。
しかし、そうではないのに、
「病院が赤字だから、もっと単位を取れ」
「もっと収益を上げろ」
と現場に求めるのは違うと思っています。
病院全体の収支は、リハビリ部門だけで決まっているわけではありません。
診療科の構成。
病床稼働率。
医師の配置。
看護配置。
人件費。
設備投資。
材料費。
地域連携。
外来患者数。
入院患者数。
手術件数。
経営判断。
さまざまな要素があります。
それら全部門の収支や実情を踏まえたうえで、
「リハビリ部門だけ明らかに問題がある」
というのであれば、改善すればいい。
しかし、リハビリ部門に特別な怠慢がなく、必要な仕事を行い、制度上可能な範囲で一定の単位を確保しているのであれば、
病院全体の赤字まで勤務理学療法士が背負う必要はない
と私は思っています。
それは、かなり大きな部分で経営側の仕事です。
赤字だからといって、すべてを現場へ押し返すのは違う
病院が赤字になった。
だから各部署に、
「もっと利益を上げろ」
と要求する。
それ自体は経営として理解できます。
ただ、現場側にも限界があります。
例えば、リハビリ部門が既に制度上の上限に近いところまで働いているのであれば、それ以上は簡単には増やせません。
患者さんがいなければ、単位は取れません。
対象患者の状態が悪ければ、単位は取れません。
リハビリだけで病院全体の赤字を埋めることもできません。
そこから先は、
どの部門にどの程度の収益改善余地があるのか。
固定費が高すぎないか。
設備投資が適切だったか。
診療機能そのものに問題がないか。
病床運営は適切か。
そういった病院全体の問題になります。
それを全部飛ばして、
「理学療法士一人あたりの単位数」
へ落とし込むのは、あまりにも単純化しすぎていると思います。
努力を否定したいわけではない
ここで誤解してほしくないのは、
「単位を取らなくていい」
「頑張らなくていい」
という話ではないということです。
技術を磨くことも、
単位数を意識することも、
知識を増やすことも、
効率よく動けるようになることも、
全部大事です。
ただし、それを
「病院の経営陣に言われたから」
やるのか、
「自分という資本を育てるため」
にやるのかで、同じ行動でも意味はかなり変わってきます。
前者だけになると、病院の数字のために自分が消耗していく感覚が残りやすい。
一方で、後者であれば、同じ努力でも技術や知識、経験として自分の中に積み上がっていきます。
私が否定したいのは努力ではありません。
経営責任と個人の努力を混同することです。
理学療法士が磨くべきなのは、まず専門性ではないか
私は、勤務時間の中でまずまずしっかり働きながら、
技術を身につける。
知識を増やす。
経験を積む。
臨床判断を磨く。
患者さんに安全で適切な理学療法を提供する。
まずそれでいいと思っています。
もちろん、勤務時間中にサボってよいという話ではありません。
自分の仕事はきちんとする。
改善できるところは改善する。
チームの一員として協力する。
そのうえで、自分の専門性を少しずつ育てていく。
それで十分だと思います。
そしてもし、
病院経営が厳しくなった。
待遇が悪くなった。
勤務先が立ち行かなくなった。
そうなったときに困らないように、自分自身の力をつけておく。
別の病院でも働ける専門性を持つ。
新しい技術を学ぶ。
新しい領域も経験する。
必要なら資格を取る。
発信する。
教育する。
副業をする。
自分で事業を始める。
そうやって選択肢を増やしていく。
私は、そちらの方が一人の理学療法士としては健全な方向に思えます。
多くの勤務理学療法士にとって、最大の資本は「自分自身」
経営者であれば、病院や会社そのものが資本になります。
副業や事業をしている人であれば、本業以外の収入源や発信媒体も資産になります。
しかし、そうではない多くの勤務理学療法士にとって、最大の資本は自分自身です。
技術、知識、経験、信用、判断力。
それらを積み上げることが、結局いちばん自分を守ります。
病院の収益を増やすことに過剰に自分を使い切るより、勤務時間の中で必要な仕事をきちんと行いながら、自分という資本を少しずつ育てていく。
私は、従業員として働く理学療法士には、その視点も必要だと思っています。
病院の売上が増えたとしても、それがそのまま自分の資産になるわけではありません。
しかし、自分が身につけた技術や知識、経験は、職場が変わっても残ります。
だからこそ、勤務理学療法士にとっては、
病院の資本を増やすことだけを考えるのではなく、自分という資本を毀損せず、育てていくこと
が非常に重要なのだと思います。
自分をすり減らしてまで、勤務先の数字を背負う必要があるのか
これはかなり重要だと思っています。
病院の売上を増やすために、
休憩時間まで仕事をする。
サービス残業をする。
勉強時間を削る。
家庭の時間を削る。
体調を崩す。
精神的に消耗する。
そこまでして病院の収益を伸ばしたとして、自分には何が残るのでしょうか。
もちろん、勤務先が安定していることは自分にとっても重要です。
病院が潰れれば困ります。
給与が出なくなれば困ります。
だから経営状況を完全に無視すればいいという話でもありません。
ただし、
勤務先の経営と、自分の人生を同一化する必要はない
と思っています。
従業員には従業員の距離感があります。
極論、病院がダメになっても、資格と経験は残る
これは少し極端な言い方ですが、私は大事な視点だと思っています。
勤務先の病院が経営難になった。
事業縮小した。
リハビリ部門を縮小した。
最悪、病院そのものが立ち行かなくなった。
もちろん、それは困ります。
転職には労力もかかりますし、同じ条件で次の職場が見つかる保証もありません。
ただ、
そこで理学療法士として積み上げたものまで消えるわけではありません。
国家資格があります。
臨床経験があります。
知識があります。
技術があります。
患者さんを診てきた経験があります。
多職種と働いてきた経験があります。
後輩を育てた経験があります。
それらは勤務先が変わっても持っていけます。
だから、
「この病院を守らなければ、自分の人生も終わる」
というほど一体化する必要はないと思っています。
病院そのものと、自分の人生は同じではありません。
「病院を守る」より「どこでも働ける自分を作る」
もちろん、勤務先に愛着を持つのはいいと思います。
職場を良くしたい。
同僚と長く働きたい。
患者さんのために病院を良くしたい。
そういう気持ちは大事です。
ただし、自分を守るという意味では、
病院を守ることより、どこでも働ける自分を作ること
の方が重要です。
勤務先が変わっても通用する技術。
知識。
経験。
判断力。
信用。
それらを積み上げていく。
もし本当に経営に興味があるのであれば、そのときは自分で事業を始めてもいい。
副業をしてもいい。
自費領域に進んでもいい。
教育事業をやってもいい。
発信してもいい。
それは本人の自由です。
でも、そうではなく普通に病院に雇われて働いているのであれば、
まず自分という資本を育てる
という考え方で十分ではないでしょうか。
経営視点を否定したいわけではない
誤解のないように言えば、私は理学療法士が経営について学ぶことを否定しているわけではありません。
診療報酬を知ることも大事です。
自分たちの仕事がどうやって病院の収益になっているのかを知ることも必要でしょう。
管理職であればなおさらです。
ただ、
経営を理解することと、経営者の価値観を現場の理学療法士全員に求めることは別です。
特に、
「単位数が少ないから評価を下げる」
「収益を生まないスタッフは問題だ」
「病院が赤字だからもっと働け」
というところまでいくと、私はどうしても相容れません。
理学療法士は、売上を作る営業職ではありません。
医療専門職です。
管理職には、現場と経営をつなぐ役割がある
私はむしろ、管理職だからこそ、
経営陣の要求をそのまま現場へ流すのではなく、
現場の実情を経営陣へ伝える役割
を担ってほしいと思います。
経営側から「もっと単位を」と言われたときに、
「分かりました。スタッフにもっと取らせます」
だけではなく、
「現在の患者構成ではここが限界です」
「この業務を改善すればここまでは増やせます」
「新人が多く、今は育成に時間が必要です」
「このスタッフは新しい領域を担当しているので、一時的に効率が落ちています」
「これ以上求めると患者対応や安全性に影響します」
「この業務量ではスタッフの離職につながる可能性があります」
と説明する。
それができるのは、現場を知っている理学療法士の管理職だからこそではないでしょうか。
管理職は経営陣の代弁者になるだけではなく、
現場の事情を経営陣に翻訳する立場
でもあると思います。
スタッフを守ることも、管理職の仕事だと思う
私は、管理職にはもう一つ役割があると思っています。
それは、
スタッフが無理なく働ける環境を守ること
です。
経営側から要求が来る。
それをすべて現場へ流す。
現場が疲弊する。
人が辞める。
残った人の負担が増える。
さらに人が辞める。
こうなったら、結局経営にも悪影響です。
だから管理職には、
「ここまではできます」
「ここから先は無理です」
という線引きも必要だと思います。
経営陣に対して現場の限界を説明する。
必要なら人員を要求する。
業務を減らす。
優先順位を整理する。
そうやって現場を守る。
それも管理職の役割ではないでしょうか。
サービス残業が前提の職場は、本当に経営的なのだろうか
もう一つ気になることがあります。
「病院のために頑張ろう。」
「もう少し残れば終わるから。」
「みんなやっているから。」
そんな空気が当たり前になる職場です。
もちろん、本当に必要な場面で残ることはあるでしょう。
私も、急変対応や患者さんのために予定どおり帰れない日はあります。
しかし、それが恒常化し、
サービス残業が当然
という空気になってしまうのは別の話です。
残業は、本来人件費が割り増しになる時間です。
つまり、経営の視点で見ても「コスト」です。
業務量が適切なのか。
人員配置は十分なのか。
仕事の進め方に改善できる点はないのか。
本来はそうしたことを見直す材料になるはずです。
それにもかかわらず、サービス残業が当たり前になれば、その問題は表面化しません。
「みんな何とかやっている。」
という数字だけが残ってしまいます。
さらに、サービス残業を黙認する職場は、労務管理上のリスクも抱えます。
未払い残業代の問題。
労働基準法への対応。
職員の疲弊や離職。
結果として、病院全体にとって大きな損失につながる可能性もあります。
私は、これも管理職が考えるべき大切な視点だと思っています。
現場の善意に頼って数字を作ることは、長期的に見れば決して健全な経営とは言えないのではないでしょうか。
短期的な単位数より、長期的な組織力
結局のところ、
今日の単位数。
今月の単位数。
今年度の収益。
そういった短期的な数字だけを追いすぎると、大事なものを失う可能性があります。
新人が育たない。
中堅が疲弊する。
ベテランが辞める。
難しい患者を誰も診たがらなくなる。
教育する人がいなくなる。
相談しにくい職場になる。
結果として、組織全体の能力が落ちる。
それなら、
多少時間がかかっても新人を育てる。
新しい疾患を経験させる。
難しい症例をみんなで支える。
スタッフが相談できる余裕を作る。
長く働いてもらう。
その方が長期的には強い組織になると思います。
そして、それは結果的に収益にもつながるはずです。
最後に
病院には経営が必要です。
理学療法士にも効率は必要です。
無駄な仕事を減らし、できる範囲で生産性を上げることにも異論はありません。
リハビリ部門に明らかな怠慢があるなら、改善すべきです。
ただ私は、
経営責任まで現場の理学療法士に背負わせる必要はない
と思っています。
そして、生産性を考えるにしても、
今日の単位数だけを見るのではなく、
新人が成長できること。
経験者が辞めないこと。
スタッフが安心して相談できること。
新しい疾患を経験できること。
数年かけてでも、一人ひとりが安定して働けるようになること。
そうした環境を作る方が、長い目で見れば病院にとってもプラスなのではないでしょうか。
現場には現場の役割があり、
管理職には管理職の役割があり、
経営陣には経営陣の役割があります。
理学療法士がまず向き合うべきなのは、
「どうすればもっと病院を儲けさせられるか」
ではなく、
「どうすれば目の前の患者さんに、より良い理学療法を提供できるか」
ではないでしょうか。
そして、病院がいつまでも自分を守ってくれるとは限りません。
経営者であれば、病院や会社そのものが資本になります。
副業や事業をしている人であれば、本業以外の収入源や発信媒体も資産になります。
しかし、そうではない多くの勤務理学療法士にとって、最大の資本は自分自身です。
技術。
知識。
経験。
信用。
判断力。
それらを積み上げることが、結局いちばん自分を守ります。
病院の収益を増やすことに過剰に自分を使い切るより、勤務時間の中で必要な仕事をきちんと行いながら、自分という資本を少しずつ育てていく。
私は、従業員として働く理学療法士には、その視点も必要だと思っています。
極論を言えば、勤務先の病院が立ち行かなくなったとしても、私たちには理学療法士という資格があります。
もちろん、簡単に転職できるとか、どこでも同じ条件で働けるという意味ではありません。
ただ、病院そのものと自分の人生は同一ではありません。
だからこそ、病院の経営を他人事として考えるという意味ではなく、
自分の人生を守る責任は、まず自分にある
という視点を忘れてはいけないと思っています。
病院の収益だけを追い、自分を消耗し続けるのではなく、
どこへ行っても通用する技術。
知識。
経験。
信用。
それらを積み重ねていくことこそ、勤務理学療法士にとって最大の「資産形成」ではないでしょうか。
経営者になったつもりで病院の数字を背負うよりも、
一人の理学療法士として、自分という資本を育てておく。
今のところ、それが私の考えです。


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